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ジョージは大相撲を廃業し、1976年に新日本に入門。190センチ近い長身と甘いマスクで将来を嘱望された。メキシコからカナダへ海外武者修行を行い、あの「ムーンサルトプレス」を初めて披露したレスラーとしても知られている。しばらく、その名前と活躍は成りを潜めたが86年7月のシリーズで突如、登場し89年にはスーパーストロングマシンとのタッグ「烈風隊」でIWGPタッグ王座を獲得した。中堅レスラーとして重要なポジションにいたが、90年4月に大手眼鏡販売チェーン「メガネスーパー」が母体となる新団体「SWS」へ移籍し、弟の高野拳磁らと共に「パライストラ」を結成し道場主となった。


弟で破壊力満点のドロップキックで「人間バズーカ砲」の異名を持つ高野拳磁の近況も聞いた。「彼は今、ロサンゼルスに住んでいます」と明かした。仕事を聞くと「この前も人命救助をして表彰されてましたよ」とこちらも充実しているようで、再び兄弟タッグでリングに登場する日はないのだろうか?と尋ねると「そういう機会があれば、ぜひとも実現させてみたいですね」と笑顔を浮かべていた。

この日の「ドラディション」では第4試合に昭和の新日本プロレスのジュニア戦線で活躍した覆面レスラー、ザ・コブラが復活した。新日時代は宿敵だったヒロ斉藤(56)とタッグを組んでブラック・タイガー、KENSO(43)と対戦。試合は斉藤がダイビングセントーンでタイガーを抑え、勝利した。コブラは1983年11月3日に新日本マットに出現。NWAとWWFのジュニア2冠に輝くなど85年6月まで斉藤、越中詩郎、高田延彦らと戦いを繰り広げた。

ザ コブラ THE COBRA マスク 覆面 OJISAN製 新日本 ジョージ高野

ジョージ高野とザ・コブラ。2人とも味わい深い愛すべきプロレスラーだった。(記者コラム・福留 崇広)

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試合前、リングサイドで関係者と話をしていた時だった。ジョージが通路を歩いていた。往年の名レスラーの近況を聞こうと取材を願い出ると快く受けてくれた。「久々の試合ですから緊張しますね。どうなりますか」と真っ先に口にした。しかし、この日の対戦カードに「ジョージ高野」の名前はラインアップされていなかった。「果たしてどこで試合に出るのか?」。まさに素顔を見たような気がして私の胸の鼓動は高鳴った。

ジョージ高野(ジョージたかの / George Takano、1958年6月23日 - )は、日本のプロレスラー、元大相撲力士。本名:高野 讓治(たかの じょうじ)。福岡県北九州市出身。ザ・コブラ(The Cobra)のリングネームで覆面レスラーとしても活躍した。大相撲時代の四股名は高野(たかの)。プロレスラーの高野拳磁は弟、全日本プロレスに短期間在籍した高野直樹は従兄弟。


伝説の”ズンドコ”デビュー戦! ジョージ高野とは; アントニオ猪木のちょっといい話; その後のコブラの苦闘

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