コブラ会』(コブラかい、Cobra Kai)は、2018年から配信されている ..


–––––––– ミゲルの成長について、彼はシーズン5で、実の父親を探すためにメキシコに行き、いわば“自己発見の旅”に出ましたよね。これまでの『コブラ会』でのミゲルの旅路について教えてください。


––––––––––『コブラ会』の撮影を始めたとき、ご自身はまだ16歳でしたよね。それから6年経った今、自分自身とミゲルというキャラクターの成長についてどう感じていますか?

––––––––– 日本への興味が沢山あることを知れて嬉しいです。『コブラ会』についてお話を聞かせてください。ドラマのテーマでもある空手は沖縄発祥の武道ですよね。『コブラ会』に出演している中で、日本空手の極意や精神などを学ぶ機会はありましたか?

ファンダム時代を象徴する人気ドラマ「コブラ会」(2018〜)のミゲル・ディアス役で一躍その名を知られることとなったショロ・マリデュエニャ。

ラルフ・マッチオ(ダニエル・ラルーソー役)が第1話を監督して、他のキャストメンバーも監督をやったんだ。『ベスト・キッド』本人に演出されるなんて光栄だよ。話したいことはたくさんあるけど、これらが今挙げられる注目どころかな。

DCはHBO Maxでの独占公開に向けて、本作を急ピッチで進めている。ブルービートルを演じるのは、Netflixドラマ『コブラ会』に出演したショロ・マリデュエニャだ。監督を務めるのは『Charm City Kings(原題)』を手がけたエンジェル・マニュエル・ソト、脚本はギャレス・ダネット=アルコセルが担当する。

いい質問だ。ミゲル(『コブラ会』)もハイメ(『ブルービートル』)も素晴らしいキャラクターだよ。LAで育ったミゲルは、確かにLAらしい雰囲気がある。テキサス州の架空の都市パルメラ・シティ出身のハイメは、強いチカーノ(メキシコ系アメリカ人)的なルーツがある。でも、今まで演じた中で一番自分に近いと感じるキャラクターはショロ(自分自身)かな(笑)。

のアポロのようにかつての宿敵と仲良く共闘できないのかと説得するミゲルの意見を頭では分かっていても、体がどうしても言うことを聞かないジョニー。自分よりミゲルを選んだと不貞腐れて、コブラ会に行ってしまったとは敵対状態に。シーズン3で元カノのアリと仲良くしたこともあって、ミゲルの母ちゃんとも少し距離を置かれてしまっています。さらには、ミゲルもダニエルの指導を受けて、ミヤギ道寄りのマインドに変わってしまい、上手くいきません。逆に、ダニエルの娘サマンサはジョニーの攻撃型思考に感化されて、戦闘的な性格になっていきます。結局、ミヤギ道に統一すべきだと言い出したダニエルとは空手で決着をつけて、勝った方の流儀で大会に臨むことになり、その結末は・・・というのがエピソード5までの大まかなあらすじ。


DC新作ヒーロー映画『ブルービートル』主演候補に「コブラ会」俳優

協力体制にあるダニエル&ジョニーだが、ダニエルがジョニーのハチャメチャな指導に飽きれ、「僕たちの強みは、それぞれのやり方を平等に教えられることだ。そのバランスを台無しにするな」と諭す場面も。また、子供世代も和解したものの、ミゲル(ショロ・マリデュエニャ)とロビー(タナー・ブキャナン)、サム(メアリー・マウサー)とトリー(ペイトン・リスト)など、個々の対立は続いているようだ。

YouTubeRedのオリジナルコンテンツとして注目を集め、その後、Netflixで世界中で人気を博した「コブラ会 ..

––––––––– ご自身の活動、特にポッドキャスト『』について聞かせてください。ユウジ・オクモトさん(『コブラ会』渡口長善・チョーゼン役)をゲストに迎えた回を楽しく聴きました。番組内で、ユウジさんにZ世代の言葉の意味がわかるか聞いていましたね。ポッドキャストはZ世代の文化を表していて、スターとファンをつなぐものだと思います。どうしてポッドキャストを始めようと思ったんですか?

「コブラ会」シーズン6パート1、予告編が公開 3部構成の完結編

「コブラ会」は『ベスト・キッド』の主人公ダニエル・ラルーソー(ラルフ・マッチオ)と、宿敵ジョニー・ロレンス(ウィリアム・ザブカ)の約30年後を描く物語。2人が築く新たな関係、彼らの子供世代の対立や成長がユーモア&熱気満点に描かれる。シリーズ完結編となるシーズン6は3部構成で、パート1は2024年7月18日より配信予定だ。

『コブラ会』シーズン3、続編開始当初の面白さを失った残念な三作目

その後はコブラ会入りしたロビーと恋仲になるが、先生たちの異常さに気づいたロビーの脱会や、自分が優勝した大会でのシルバーの不正から不信感を募らせ、コブラ会の悪事を暴くことを決意。サムたちと協力し、道場の不正に関する証拠映像をばら撒くと、脱会以降距離を置いていたロビーともよりを戻すことになった。

シーズン2では、亡霊のようによみがえったクリーズがジョニーのもとからコブラ会を奪い、ミゲルをはじめとする弟子たちに危険人物に変えてしまう。

1984年、空手大会の決勝でダニエルに負けたジョニーは酒に溺れ、惨めな生活を送っていた。そんな彼はある日、不良グループに暴行されていた少年ミゲルを助けたことから、かつて自身が所属していたコブラ会を再開させる。その一方で、カーディラーとして成功を収めていたダニエルは、師匠のミヤギの思いを受け継ぎ、自身の娘を含めた次世代に“ミヤギ道”を伝授していく。

コブラ会 S6EP7 やっぱり頼りになるのはミゲル。と思ったらミゲルはジョニーと共に帰国することに。ここからロビーの復活ストーリーか。

ジョニーはミゲルとロビーを仲直りさせることに奔走。穏便なやり方は全部失敗したので、最後はで強引に仲直りさせます。ミゲルの母カルメンとの交際は順調。妊娠したかもと言われて動揺するジョニー。慣れないGoogle検索で父親としてやるべきことを勉強して、貯金をすべく宅配サービス業等のギグワーカーにもチャレンジ。エピソード5になって主役の二人であるダニエルとジョニーがようやく顔を合わせます。この二人の大人気ない対立や仲直り、またケンカとワチャワチャする展開がこのシリーズの本軸だと思うので、中盤に来てやっとドラマが動き出した印象。コブラ会に残留しつつも、シルバーのことを信じ切っていないトリーが悩みを相談しに行くのが、獄中にいるクリーズ。後半に絡んできそうです。

ばなりません。バレー地区の命運がかつてないほど揺らぐなか、2つの道場の協力関係を維持しようと奔走するサマンサとミゲル、コブラ会に…

は大会での敗戦後、約束通りミヤギ道場を解散。ミヤギ道場に勝ったコブラ会は、クリーズを追放してコブラ会を受け継いだが財力にモノを言わせて勢力を拡大していこうとしています。シルバーの動きを怪しんで、ミヤギ道カラテの伝統を守り続けるを沖縄からわざわざ連れてきて助っ人を依頼。チョーゼンはコブラ会に潜入して内側からシルバーの悪事を暴く作戦に出るも、カンタンにバレてしまいます。チョーゼンは活躍するどころか、足を引っ張るだけで、いなくてもいい存在に感じます。そもそも、まだ何も悪いことをしてないシルバーを執拗に敵対視するダニエルの行動が異常だと感じますが、ダニエルがシルバー退治をあきらめた途端、逆にシルバーがダニエルを強襲して、これから事を起こすと宣言。

Netflixシリーズ『コブラ会』シーズン6: パート1 予告編コブラ会が ..

今シーズンではに出てきたベトナム戦争時代のクリーズの戦友が登場。実業家として成功しているテリー宅にクリ-ズが押しかけて、テリーの奥底に眠っていた戦闘モードを強引に呼び戻してコブラ会の指導者に引き入れます。筋立てがかなり強引です。また、といういじめられっ子の転校生キャラが新たに登場。ロビーを慕ってコブラ会に入会したケニーが後半の物語にどのように絡んで来るのかといったところ。ネタ切れを防ぐためにシーズン5以降で活躍させるキャスティングの匂いが。あと、相変わらず1980年代ネタも散りばめられています。ハードロック好きなジョニーとソフトロック(クリストファー・クロスやシカゴ)好きなダニエルの対比。ダニエルとの決戦前に主題歌「バーニングハート」を聞きながら特訓をするジョニー。でカッコイイのはトム・クルーズじゃなくて、役のヴァル・キルマーの方だと力説するジョニー。なぜか、ジョニーのお気に入りムービーであるがドライブインシアターでリバイバル上映してるシーンもありました。

今回ご紹介するのは、「ベスト・キッド」の公式な続編、Netflixドラマシリーズ「コブラ会」。 ..

シーズン2からは、登場人物たちのしょうもない三角関係や、会話や情報伝達が不足によるくだらない誤解による大騒動と悲劇、映画だったらすぐに解決しそうな問題をシーズンの最後まで持ち越してそれでも解決させない……といった、連続ドラマにありがちな欠点も目立ってくる。物語を引き伸ばすために大問題の解決は後まわしにしつづけながら、間を持たせるために小事件は常に起こしつづけなければいけない、という構造上、トラブルメーカーの役割を担わされて観客から嫌われる登場人物が目立ってくるのも、なんというか実にカン・ドラマという感じ。
ホークやトリーもなかなか厄介だが、とくにサムがひどい。男を二股にかける自己中心的な性格をしているのに正論を語り、騒動を起こしてはミゲルやディミトリがケガをする原因を作りつつ、自分はすぐに被害者ぶって周囲の大人から甘やかされる、と視聴者の感情を逆撫でしてばっかりの実にストレスフルなキャターだ。のサジェストで「嫌い」が出てくるのも納得である。
とはいえ、サム、そしてその父親ダニエル・ラルーソーの「偽善」や「独善」が強調されるのは、もともとの『』では「悪役」だったジョニーを主役に据えたこの作品においては必然性のある描写だともいるだろう。

ティ―ンエイジのかわいらしい男の子・女の子やイケメンが多数登場する作品であるが、『会』の最大の魅力は、ジョニー・ロレンスという主人公の造形にある。世間の流行どころかインターネットややパソコンすらまったく使い方を知らない「おバカ」でありながらも、ミゲルやその他のいじめられっ子が立ち上がる武器として空手の技術を教えるだけでなく、彼らが非行にはしりそうになったときにはどうやってモラルを教えて更生させられるかをひとりで考えて悩みながら実行する彼の姿は、実にいじましくて素直で、好感が抱ける。感情表現がヘタであったり言葉足らずであったり直情的で近視眼的であったりするために様々な失敗を犯し、弟子は過去の師匠に奪われて恋愛はまわり道で実の息子のロビーとの関係もうまくいかなくてと失敗続きであるところも、むしろ共感の対象となる。これほど「不器用」なキャターは昨今では珍しい。そしてジョニーの最大の魅力は、「偽善」や「正論」とは無縁であることだ。ダニエルとはちがい、彼がミゲルやロビーに説教をしたり教えを説くときには、その言葉が借りてきたものではなく悩みながら自分の頭で必死に考えたものであることが伝わってくる。世間的な権威や正論とは無縁なジョニーであるからこそ、何十歳も年下の子どもたちと対等の立場からメッセージを発して、それが受け止められるのだ。……まあそのメッセージが間違っていることもあるために余計なトラブルや惨事が起こったりもするのだけれど。

シーズン3における、(ジョニーによる教えが一因ともなりながら)学校での乱闘の果てにケガをして生活を余儀なくされることになったミゲルの「リハビリ」をジョニーが手伝うくだりは、とくに感動的だ。現実にやったら問題になること間違いなしの根性論でスパルタなリハビリによってミゲルが回復する過程にリアリティはまったくなく、「エロ本で(文字通りに)釣って立ち上がらせようとする」場面などのバカバカしさもすごいものだが、ジョニーの善意とそれをミゲルが受け止める様子が実に暖かなのだ。ミゲルが「お返し」をするようにファッションやデートなどについてジョニーにアドするところも好ましい。
ジョニーとミゲルの関係は、論者が喜びそうな「男性同士のケア」関係でもある。しかし、理想的なファンタであることは間違いなくても、彼らの関係性の描かれ方に偽善性や押し付けがましさは不思議とない。ひとつは、先述した通りおバカであり、『』が公開された1980年代からファッションセンスも知識も価値観もほとんどアップデートされておらず、まったく「コレクト」でないジョニーのキャター性によるものだろう。無知であり余計なや思い込みを持たないからこそ、目の前の問題を直視して相手に対して素直に関われて、まわり道をしながらもミゲルを救済したり治癒したりするなどの「正解」にたどり着けるという点では、『』と同じくジョニー・ロレンスもカのの伝統を正しく受け継ぐキャターなのだ。
もうひとつは、「男性同士のケア」を「師弟関係」や通じて描いていることだ。男性同士のケアがありうるとしても、それは友人同士や同輩などの横並び関係ではなく、「メンター/メン」や「先輩/後輩」など「縦」の関係のほうで成立しやすい、というのはよく言われることである。女性は男性と比べて同列の同性に対してはつい張り合ったりマウントをとってしまったりして本音を明かせないが、縦の関係ならその傾向が緩和されて、上の側にいる男も下の側にいる男も本音を打ち明けやすくなる、ということだ。これはわたしも大学時代のサークルや職場のことを思い出すとうなずけるところがあるし、部活をしていた人にも心当たりがあるのではないだろうか。考えてみれば、同じく「男性同士のケア」を描いた『幸せへのまわり道』も基本的には「メンター/メン」という関係であった。そういう点で、ジョニーとミゲルの関係は、バカバカしいファンタでありながらもある種の「リアリティ」を含んでいるといえるのだ。

「空手」という格闘技を題材としており、ンエイジャー同士の喧嘩や乱闘が何度も繰り返される『会』では、必然と「有害な男らしさ」という問題も関わってくる(トリーをはじめとする女子も喧嘩に加わるが、まああんな血の気の多い女の子ってリアルだとほとんどいないし、ストーリーの都合上女子にされているだけで彼女もほとんど男子みたいなものだ)。ジョニーやダニエルやクリースなどの師匠たちも、ミゲルやロビー(やサム)などの準主役の弟子たちもそれぞれに「有害な男らしさ」の問題を抱えているが、とくに印象的なのはホークの扱いだ。彼は、空手を習って暴力を手に入れるだけでなく髪を派手なモヒカンにしたり入れ墨を入れたりするなど全方位に「男らしさ」を獲得することで、いじめられている状況から脱出して周囲を見返して子分とガーンドもゲットするが、こんどはその「男らしさ」が仇となって子分もガーンドも友人も失い、いじめっ子が空手を習ったことでせっかく身に付けた暴力も役に立たなくなってしまう。
……とはいえ、ホークというキャターの顛末には、「男らしさ」は有害であるとともに有益なものであることも示されている。結局のところ、まず彼は「男らしさ」を身に付けていなければ、なにもゲットできないじめられっ子のままでありつづけたのだ。同様の経緯はミゲルもたどっているし、過去にダニエルやジョニーがたどったものであり、これからクリースがたどるものでもあるだろう。要するに、男の子である以上は「男らしさ」に振り回されてもダメだけれど「男らしさ」をまったく持たないわけにもいかない、ということだ。空手を習うなどしながら、中庸に着地させる道を見つけるしかないのである。
『会』においては、アマンダ・ラルーソーやミゲルの母などの「母親」たちは、ダニエルとジョニーの不毛な張り合いや子どもたちの無益な争いからは距離をとったりそれを諫めたりする、賢明さや良識を体現する人物たちとして描かれている(シーズン3でアマンダがクリースにつっかかることでその構図も崩れてしまうけれど)。しかし、ホークがいじめられっ子であった時代の回想シーンで、彼の母親が「いじめを止めてもらうように学校に連絡する」というおそろしく無意味で逆効果な(でも"良識的"ではある)手段をとったように、母親的・女性的な「賢明さ」が男の子の問題を解決する上では無力であることを描いている点も優れている。
男らしさなりマッチョイズムなりの問題は、や論が登場する遥か以前から男として生きる人々には否が応でも気付かされてきたことであり、男性がつくる男性を主人公とした物語のなかでは様々なかたちで描かれつづけてきたことだ。そして、たいていの物事や事象がそうであるように、「男らしさ」には功罪の両方が存在する(同様に、「母性」や「良識」や「ケア」にだって、功罪の両方があるはずなのだ)。物語はそれが良質であればあるほど、「功」と「罪」の両方を見つめて描くことができるものなのである。

というわけで、『会』は人によってはポリコレドラマとして受け止められて、人によってはアンチポリコレドラマとして受け止められているようだ。『マッドマックス:怒りのデスロード』ですら作品であるか否かをめぐって解釈が割れているように、よい物語とは多義的な解釈を許すものである。
日本人や沖縄人がほとんど不在のなか白人男性たちが空手を教えあう設定に対して必然的に出てくる「文化の盗用」という批判を、おバカなジョニーに「なんだそりゃ?」と言わせることでスルーする、という豪胆さはすごい(実際、もともとの『』の時点でありきな作品なんだから、そこを掘り下げても誰も幸せになれない。そういう点ではシーズン3でダニエルが沖縄に行くくだりは余計でしかなかった)。シーズン1の大会で"意識の高い"が少年が被差別者たちのために黙とうするシーンもギャグでしかない。
……とはいえ、反ポリコレな作品であるかというとまったくそうでもない。結局のところ、自分が少年時代に犯したいじめをはじめとする男らしさの「罪」をジョニーに直視させつづけて、ミゲルたちへの指導やクリースとの対峙を通じて彼に「贖罪」をさせることが、この物語の最大のテーマであるためだ。

Netflix『コブラ会』シーズン3あらすじ・ネタバレ感想・キャストなど

「ベスト・キッド」も十分面白かったですし、昔の出演者がそのまま出ているのが評価が上がるポイントだったと思います。